この水物語でも沢山紹介してきましたが
水つくりのおかげで本当に幅広く、
様々な人と出会うことができました。
その中でも、私が「水」と向き合うときに
必ず思い出す彼がいます。
今回はその彼との過ごした
大事な1年間のお話をします。
はじまりは1995年のことです。
北海道小清水町の酪農家さんへ
「畜産業の悪臭をどうにか無くしてほしい」と
依頼がありました。
依頼先は群馬県の山あいにある
小さな村の村長さんから。
村の主要産業は畜産。
村の中には酪農家が12軒、
養豚家が2軒ありましたが
豚や牛の糞尿は適切な処理をされないまま、
林の中や畑に積み上げていたので
村はどこへ行っても臭く
隣の村や近隣住人からの
苦情が絶えませんでした。
依頼を受けた酪農家さんは
以前に液肥の技術を伝授した方で、
依頼が来てすぐに私のところへ
「ぜひ手伝ってほしい」と連絡をくれたのです。
二つ返事で参加を決めた私は
私は小規模の酪農家4軒と養豚家2軒を担当し、
大きな酪農家は
北海道の彼が担当することになりました。
それが良一(りょういち)さんとの出会いでした。
小規模酪農の中でも一番小さい酪農家だった
彼の牧場には乳牛が5頭だけ。
当時60代のご両親と、
本人と奥さんの4人家族は
痩せた5頭の乳牛の売り上げと
僅かな畑とで生計を建てていました。
他の酪農家は飲み水を替える
水処理装置をすぐに購入できましたが、
良一さんのところでは買えませんでした。
それでも彼はとにかく
「牛が好き」だったのです。
彼のその想いにどうしても答えたい私は
ツテを使い当時仕入れていたセラミック工場から
製造の中で余ってしまったセラミックを
分けてもらい、
市販のステンレスのざるを2つ合わせ、
針金で止めて、簡易のリアクターを作りました。
それを牛が飲むために貯めて
ある湧き水タンクに吊るしたのです。
吊るしてからすぐに、良一さんから
「牛の水の飲み方が違う!」と連絡がきました。
これまではジュー、ジューと吸っていたけど、
今は噛むように飲むと言うのです。
そして便が硬くなってきて、
「それまでは煮汁みたいだった」と
笑みを浮かべました。
現場には、2か月に1回確認に訪れていました。
ある時、牛舎の裏には牛が遊べる用に
パドックが作ってありました。
年老いたお母さんが傍に来て
「良一が生まれ変わった」と
パドックにいる牛を撫でている良一さんを
見ながら言うのです。
詳しく尋ねると、
先月村の酪農家全員で北海道の牧場へ
視察へ行くこととなり、
良一さんも村の補助で行ったそうなのです。
そこで牧場で搾乳の済んだ牛を
パドックという遊び場に出しているのを見てきた良一さんは
帰った夜に「おれの牛にも作ってやる」と言い、
翌朝3時から起きて、
裏の広場の小石拾いから始めて、
廃材で柵をつくり、
三日で今のパドックを
作ってしまったのだとのこと。
良一さんが傍に戻ってきたので
そのことを確かめたら、
黙って肯定し、
何か言いたそうなので待っていると
「俺の牛歩けんかった」と
絞り出すようにつぶやきました。
「牛が歩けない??」ってどういうことか
とすぐ聞きたくなりましたが、
辛そうなので時間をかけて聞くことにし、
帰るまでゆっくりと聞き出すことができました。